西 教 寺 明智 光秀。 西教寺のみどころ 明智一族の墓(明智光秀の墓)・妻木一族の墓

【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その1)

「坂本城跡」や城下町もいいのですが、やっぱり外せないのが明智一族の菩提寺でもある「西教寺」です。 (でも、現代の研究では後世の偽作であろうといわれています。 身分の低い者でも、一人ひとり名前を書いて、同じ量の米を収めています。 写真の客殿は、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598)に大谷吉継の母が寄進したという。 生まれた場所は岐阜県可児市の明智城が有力です。 混雑具合:空いていた• 雨が降ってもそこそこ守ってくれます。 日吉東照宮からの琵琶湖の眺めです。

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明智光秀夫妻の墓所

総門です!趣があります! 明智光秀も何度もこの門をくぐったことでしょう! (この門は明智光秀の居城、坂本城からの移築です!) 聖徳太子が開いたとは!由緒ありますね! 門をくぐって両側にある子院を見ながら坂道を登り、 さらに急な階段を登ると、西教寺のメインの場所があります。 小堀遠州の作で、刈込を駆使した庭園。 本堂の左側の最前部には、明智光秀と正室煕子のお墓があり、参拝客は必ず手を合わせて行かれます。 江戸時代にあって、「逆臣」光秀の妻を顕彰しました。 地理的にも近かった西教寺との縁は深く、現在でも境内には明智光秀や妻を始めとする一族のお墓や、明智光秀、妻の実家の供養塔、辞世句碑などもあります。

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明智光秀ゆかりの坂本・西教寺を訪ねて1 光秀ゆかりの総門や一族の墓

住所:滋賀県大津市坂本5丁目13番1号• 西教寺に俊寛と光秀が! 秀吉晩年の1590年、応仁の乱で荒廃し、廃寺となっていた法勝寺(「六勝寺」の中で最大の寺院。 下記は、明智光秀の正室である の墓です。 穴太衆は地元・坂本地区一帯の造園に活躍したそうです。 参照: 今は、石垣(穴太衆?)は琵琶湖に埋もれています。 西教寺にはこれまで私たちが歴史の教科書では見られなかった、新たな歴史の発見があります。 前一向一揆殲滅戦に参加し、丹波国攻略を任される。

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【西教寺の寄進状で分かる人柄!】マニアックな明智光秀ゆかりの地へ(その2・近江編)

また、越前でも一向一揆が活発になると、七里三河守が称念寺に陣を置いたりもしました。 この逸話の真偽も不明ですが、黒髪の逸話を想い松尾芭蕉が詠んだ句があります。 光秀から報奨として8石を賜わった感状もある。 天正3年 1575年 従五位下日向守に任官し、惟任日向守となる。 自分の正しいと思った道を行く、光秀らしい話ですね! 2,煕子の髪の話 若かりし明智光秀が居城を追われ、浪人していた時期がありました。 諸説ありますが、 おまきのかた は、明智光秀の母ともされる女性です。 1日に4本しかありません。

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明智光秀ゆかりの西教寺(滋賀県大津市)とは?~まとめ

もう少し近いところで、頭角を現した光秀公が治めていた坂本の地を巡ることに。 「麒麟がくる」との関係です。 光秀もそれは承知しており、「明智と同心仕候へ」(味方してくれ)と使者を出していた。 そういう意味では、この西教寺にも光秀に関する伝承が多く伝わっていますので、慈悲深い側面が在った事は事実と考えて間違いないでしょうが、西教寺再興に関しては信長の許しを得てるのは間違いなく、決して光秀の独断ではないでしょう。 慶長17年(1612年)、時の長崎奉行であった「長谷川左兵衛藤広」について長崎に行った「片岡庄兵衛」が、「明(中国)」の商人から算盤を手に入れ、日本人に合うよう改良を加えて「大津そろばん」を完成させた事から、日本中にそろばんが普及していきました。 本堂の横(西教寺の墓地の前)に供養塔があります。 「西」のマークは読めますが、漢字か梵字かわからない字が書かれています。

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西教寺(明智光秀:菩提寺)

すんません。 その石垣のプロがつくった庭園。 恐らくは、称念寺から500mほどのところにある、舟寄館主・黒坂景久 黒坂備中守景久 が知るところとなっていたのでしょう。 今回は、そのうち近江の史跡をいくつか訪ね、紹介したいと思う。 最初は会話も快活に歩いていたのですが、だんだん無口になり... ハァ...ハァ...ハァ...。 光秀の「顕彰会」ができたのは、西教寺でもそんなに古くはなさそうですね。 襖や障子などに描かれた狩野派の絵も素晴らしかったです。

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明智光秀とお寺・神社|教えてお寺・神社さん

そして、毎年6月14日には明智光秀の追善供養が行われ、今でも光秀は大切にされているようです。 文・上永哲矢 <関連記事>. 当時の武将は側室を持つことが多かったのですが、光秀は側室を持たず正室の煕子だけを生涯の妻としました。 坂本ケーブル乗車が2割引きになるなど、お得なようですよ。 駐車場にあった看板。 その横に「西教寺と護猿(ござる:まもりざる)の由来」と書かれた看板もあります。 ききょうの御紋もまぶしく「明智光秀とその一族の墓」が祀られています。 共感できる部分はたくさんあリます。

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西教寺のみどころ 明智一族の墓(明智光秀の墓)・妻木一族の墓

Address 滋賀県大津市坂本5-13-1 Hours 9:00-16:30 Closed なし Tel 077-578-0013 Web まとめ 琵琶湖を望む山麓にある西教寺。 ここの石積みも「穴太積み」なのでしょうか。 拝観料:500円• 實成坊(じつじょうぼう)、禅明坊(ぜんみょうぼう)、写真の徳乗坊(とくじょうぼう)など8ヶ所が存在しており、横木を添えて強度を付けた薬医門を構える近代和風建築です。 聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩の向かって右側に明智光秀一族の墓、左側に光秀の正室・熙子(ひろこ)の墓が見られます。 坂本城が落ちた後、廣忠は一族を西教寺に埋葬し、供養します。

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